杉本文楽 曾根崎心中

4 杉本博司からのメッセージ

前口上杉本博司

我が国においてエロスの問題、つまり色恋沙汰は、詩的関心事ではあっても、長らく宗教的な関心事ではなかった。しかし恋を心中によって成就させることによって、二人の魂が浄土へと導かれるという革命的な解釈が、はじめて近松門左衛門によって披露されたのが、この人形浄瑠璃『曾根崎心中』である。

「恋を菩提の橋となし」と語られる第一段の「観音廻り」には、死に行くお初が、実は観音信仰に深く帰依していたことが伏線として語られる。初演当時、封建道徳に深く縛られていた恋する若い男女に、心中は爆発的に流行した。この世で遂げられぬ恋は、あの世で成就される、と思わせる力がこの浄瑠璃にはあった。江戸幕府は享保8年(1723)、「曾根崎心中」を上演禁止とし、心中による死者の葬儀も禁止した。葬儀禁止は成仏妨害策である。それから232年後の昭和30年になって、この浄瑠璃はようやく復活される。しかしその数百年の断絶のうちに、我々は近松時代の語りや人形の遣い方がどのようであったか、という記憶をほとんど失ってしまった。ただ残されているのは近松の浄瑠璃本と、人形遣い辰松八郎兵衛の出遣い図のみである。

私は今のこの世にあって、私の想像力を飛翔させ、古典の復活こそが最も現代的であるような演劇空間を試みてみたいと思った。そして行き詰まりつつある現代がそれを求めているような気がする。西洋におけるエロスの悲劇は、近松に先駆けてシェークスピアが「ロミオとジュリエット」で、近松に続いてゲーテが「若きウェルテルの悩み」として書き継がれている。エロスと死のテーマは洋の東西を問わず育まれ、今に至っている。

杉本博司 プロフィール
1948年東京生まれ。立教大学卒業後、1970年に渡米、1974年よりニューヨーク在住。徹底的にコンセプトを練り上げ、精緻な技術によって表現される銀塩写真作品は世界中の美術館に収蔵されている。近年は執筆、設計へも活動の幅を広げ、2008年建築設計事務所「新素材研究所」を設立し、IZU PHOTO MUSEUM(静岡県長泉町)の内装設計他、2013年4月4日にはエントランススペースのデザインを手がけたoak omotesando(表参道)がオープン。主な著書に『空間感』(マガジンハウス)、『苔のむすまで』『現な像』『アートの起源』(新潮社)。内外の古美術、伝統芸能に対する造詣も深く、演出を手がけた2011年の三番叟公演『神秘域』(野村万作・野村萬斎共演)は2013年3月にNYグッゲンハイム美術館にて再演(野村萬斎)、4月には日本凱旋公演も行われた。
このたび2013年9月~10月に行われた杉本文楽 ヨーロッパ公演(マドリード・ローマ・パリ)では、「構成・演出・美術・映像」を果たす。1988年毎日芸術賞、2001年ハッセルブラッド国際写真賞、2009年高松宮殿下記念世界文化賞、2010年秋の紫綬褒章を受章。2013年フランス芸術文化勲章オフィシエ受勲。